|
西坂百生燃え尽きて逝く 全身を病魔に蝕まれながら果敢に戦っていた西坂は11月1日午後2時40分ごろ遂に力尽きて永眠した。大きく息を吐いて目を閉じる、眠るように静かな最期であった。
65歳の誕生日に10日足りない、まだまだこれからの惜しまれる生涯である。 熊本の八代に生まれ地元の小中学校から、工業高校に進み卒業と同時に大きな夢を抱いて東京に出る。昭和36年の熊本、東京間は今の外国以上の距離感があった。大きなバッグ一つを手に数人の仲間と上京した西坂は何を思い何が目に映ったのであろうか。それからの定年退職に到る40数年は、仕事・趣味・大恋愛まさに全力疾走に近い生き方を貫く。
高校時代からのブラスバンドは東京でも楽団に所属し中学生の指導を行う。もともと好きなランニングはやがてフルマラソンを何度か完走するほどになる。それらの経歴は20数年前千葉の西国吉に越してからも生かされ、体育指導員に推され存分に活躍する。一方地元楽団にも属し活動する傍ら、各種の音楽会では、大量の録音装置を持ち込み奮闘する西坂の姿をよく見かけたものである。
趣味の写真は陸上選手を撮り続け、県の陸上競技界では誰知らぬ者のないほど有名で、日本を代表するような選手や指導者と友人になる。マラソンの有森選手の祝賀会に招かれたほどである。
西坂の真骨頂は退職後に存分に発揮される。平成16年6月、山川建夫が提唱し松本靖彦と西坂の3名で立ち上げた環境保護、人々の交流促進を目指す「市原ルネッサンス」の記録担当として市原南部の自然と人々の交流を撮り続けた。
「市原ルネッサンス」は仲間や交流団体を増やし、いまや市原南部の環境や各種イベントに欠かせぬ団体となった。西坂の存在は極めて大きい。好評を得ているホームページや広報誌のほとんどの写真を担当し3年間で一万枚の写真を撮った。
6年前に発病し入退院を繰り返す中、まさに寸暇を惜しんで、自然や人々を撮り続けた。めったに怒らぬ西坂が何度か怒りを露わにしたことがある。川原の清掃をし流木を燃やしたとき、大量の不法投棄を目にしたとき、そして滝の周辺が採掘場の土砂が流入して崩壊したときである。西坂の晩年、生活のほとんど全てがルネッサンスの思想の中に存在していた。病が進行するにつれて涙脆くなり、特に美しい自然と、利害を超えた人々に感動した。
ルネッサンスの仲間、市民の森を守る月崎の安由美会の人々、古敷谷で森を守り子どもと交流を深める上古敷谷里山の会の人々、広大な森の復元をめざす米沢の森を考える会の人々、制作舎「翔」の人々、優しい絵を描き続ける前田麻里などの営みに感動し涙し、その中からエネルギーを得ていた。
さらに病が進行し余命を悟ってからは、「自分は幸せだった。何の悔いもない」と何度も語っている。 伸子さんという献身的に看病するよき伴侶と、優しい子どもたちに恵まれたから当然ではあろうが、とかく病の床で漏らす不平不満や苦痛を遂に漏らさなかったのは、「肥後もっこす」の典型たる西坂の面目躍如であろう。最晩年に出会った、安心して語り合える鈴木敏夫の存在もことのほか大きく感じられた。生死を超越した諦観は西坂にある種の覚悟を与えた。
西坂最後の2年、何度も生命の危機に晒されながらそのつど蘇った。そして医学の常識を覆すことも実際あった。鈴木や松本は、ルネッサンスの思想や、滝や森や菜の花などと共鳴する、奇跡とも思える西坂の生命力をつぶさに見て取った。虚心坦懐、純粋な西坂の周囲には確かに神が存在していた。
西坂はただ、ただ周囲に存在する人々に深く感謝していた。そして最後の活動の中心となった加茂地区の自然や森を守る人々を深く愛していた。終の棲家となった市原を西坂ほど愛した人も少ないであろう。市原に長く住む人でも、西坂ほど山や川、滝や渓流、森を守る人々の営みを熟知した人はいないであろう。
西坂と行動を共にした夜、よくメッセージが届いた。その最後に決まって「感動」「感謝」と結ばれてあった。西坂は出会うこと全てに感動し、この世に生を享けたこと自体を感謝したように思えてならない。
生命を削りながら自らを燃やし続けた西坂は幸せであったに違いない。 異変の知らせを受けて松本が駆けつけたとき、西坂は息を引き取っていた。だが、そこでも奇跡は起きた。松本のギターの音に西坂は再び薄目を開け、大きく息をして静かに目を閉じたのだった。松本に関わる多くの人々に別れを告げたのであろう。そして思い残すことのない安らかな眠りに就いた。人より速いスピードで人生を駆け抜けた完全燃焼だった。しかも残った人たちに多くの課題を提示して。
まもなく麻里の絵画展が開かれ、七色滝の周辺も紅葉する。市民の森のイルミネーションも始まる。空の上からゆっくり見るがいい。さよなら西坂百生。
 |  |
| ルネッサンスの活動を始めたころ (04・10) |
梅ヶ瀬探索 養老川の全支流を踏破した (04・10) |
 |
| 夕木、遠矢ヶ崎の滝(05・6) |
| |  |
| ルネッサンスの会議で熱弁をふるう(05・9) |
上古敷谷の森で(05・12) |
 |
| 飯給駅前での作業(06・7) |
 |  |
| 酒は何よりの好物・ルネッサンス小屋で
(07・2) | 月崎のゴミ撤去の日体調は最悪だが
無理をして。 翌日入院(07・2) |
 |  |
| 里見駅の菜の花・伸子夫人を撮影、
背中のリュックは酸素ボンベ(07・4) | 月崎駅の二人(07・4) |
| |
|
| 里見駅を撮影中、ポーズが決まっている
(07・4) | 飯給駅の2人(07・4) |
 |  |
| ルネッサンス創設メンバーが久しぶりに
(07・5) | 自宅療養中 体中に管が通って
外出はできなくなった(07・9) |
 |  |
| 7月以降松本のギターやマンドリンを
楽しみにしていた(07・9) | この日は岡本・前田・松本と一緒に大声で
歌をうたって元気だった(07・9・26) |
本人お気に入りの写真
4カット
|